●海王星発見の場所●


ハッブル宇宙望遠鏡による海王星

 海王星は、いまから154年前の1846年に発見されました。海王星の公転周期(太陽のまわりをひとまわりする時間の長さ)は164年ですから、あと10年で発見からはじめて1まわりして、発見したときの位置に戻ります。その海王星を発見した場所は、やぎ座の北東部。その時にはすぐ近くに土星が輝いていました。

 海王星の手前を公転する天王星が発見された1781年以後、数々の天文学者や数学者がこの天王星の軌道を計算しました。惑星をはじめとした太陽系の天体の運行の計算には、18世紀にニュートンが発見した「万有引力の法則」を用いていましたが、観測結果から計算されるこの天王星の軌道が、どうしても万有引力の法則に合わないことが、当時の天文学者の間では大きな謎とされていました。

 イギリスの天文学者で数学者でもあるジョン・アダムス(John Couch Adams 1819-1892)は、ケンブリッジ大学を卒業後この問題に取り組み、1845年に過去の観測から得られた天王星の軌道を元に、第8の惑星の存在を予測していました。しかし、当時のイギリス天文学会ではアダムスの考えは受け入れてもらうことができず、実際にその惑星を観測されることはありませんでした。

 一方、フランスでも同じような研究をしていた天文学者がいました。アーバイン・ル・ベリエ(Urbain Jean Joseph Le Verrier 1811-1877 )は、1846年6月にこの惑星の存在を示す論文を発表しました。しかし、若き天文学者の考えを受け入れてはくれませんでした。

 

ジョン・アダムス(左)とアーバイン・ル・ベリエ(右)


1846年9月23日 海王星発見時の位置と2000年の位置

 しかし、このル・ベリエの論文とアダムスの計算結果がほとんど同じであることに気づいたイギリス天文学会は、すぐさまその惑星の捜索にはいりました。ル・ベリエも、フランスでの観測を断念してドイツのベルリン天文台に観測を依頼します。

 1846年9月23日。ベルリン天文台のヨハン・ガレ(Johann Gottfried Galle 1812-1910)は、ル・ベリエが予測した位置に望遠鏡を向け、最新の星図を元に未知なる惑星を探しはじめました。そして、星図の星と視野に見える星を1つずつ付き合わせていく作業をしていくうちに、星図にない8等星の星をついに発見しました。

 この惑星の発見者は、最初に計算からその存在を証明したアダムスか、観測に結びつく計算をしたル・ベリエかで、イギリス・フランス両国間で争われましたが、2人の計算はそれぞれ独立して行われ、その結果から観測が行われたことを評価して、この2人のどちらも計算上の発見者であることを認めることになりました。現在では、実際の観測を行ったガレを含めた3人の名前が、発見者として認識されています。



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