子供の来場者は増えていないのですか?。
子供の絶対数が少なくなっているじゃないですか。ですから減ってはいますよね。それに対して反比例するように大人が増えているという感じですね。子供が少なくなっているというのは、たぶんどこの館でも同じ悩みですよね。それでも、うちの場合はその点では若干ですが増えていると思っています。
●プラネタリウムについて
開館当初から使われている投映機が、まだ現役で使われていますよね?。
もう減価償却終わってますからね(笑)。
まだまだ元気に動いてくれているんですよね?。
う〜ん あんまり言わないようにしているんですけれどね。壊れるって言わないと取り替えてくれなくなりますから(笑)。でも、まだ10年くらいは余裕で使えそうですね。さすがドイツ製品というところでしょうか。
プラネタリウムにいつもお客さんを呼ぶために、何か心がけていることはありますか?。
プラネのパンフレットはは季節ごとに作っているんですが、カラー印刷なもので、それがまたお金かかるんですよ(笑)。だんだん小さくなってコンパクトになっちゃっています。でも、うちプラネタリウムの場合、維持費というのはそのリーフレット代くらいのもので、後は原稿書いて生解説ですからね。
今年の春に北海道全体の科学館の館長会議がありまして、他の館はプラネタリウムのソフト代に何百万もかけなければならなくてたいへんだという話しが出ていました。
新しいハードを入れて人件費を減らした分が、そのままソフト代にとられてしまうというのは、プラネタリウムの売り方にも問題があるのかもしれませんね。
高垣館長:子供たちはどうしても飽きがでてきますからね。子供たちに2回目・3回目と来てくれるようにするには、新しいソフトを回していくために、もっともっと安いソフトがなければ、できないと思いますね。
科学館の付属施設になっている旭川市天文台は、北海道で最初の天文台ということですよね?。
そうですね。1950年にできたということですから、今年で50年です。五藤光学の15cmの屈折望遠鏡が据えつけられています。
天文台の一般公開では何人くらいの方がいらっしゃいますか?。
30人から50人くらいの方が集まりますね
たくさんの方がいらっしゃるのですね!。
でも、もうあのクラスでは個人でも持っているレベルになっていますからねぇ・・・。でも、いくら個人で持っている人がいても、それを幅広くたくさんの人に見せるという場所にはなり得ないですからね。公開してそれを説明する人がいて見せてくれることというのが一番大切なことですよね。
これだけ多くのお客さんがいらっしゃるのでしたら、質問や疑問が寄せられることも多いですよね?。
あらゆる質問がきますね。たとえば、元素って100以上もあるわけですが、どう組み合わさって人間ができるんですか?なんていうすごい質問がきたり・・・
それはすごいですね。でも、突き詰めていくと宇宙の起源に結びつきますね。
他にも、天文現象があれば、そのに関する質問がたくさん来ますね。一日に50件とか電話が来ることもあります。仕事とはいえ、現象一つ一つのときには労力が必要な時がありますよね。でも、そういうものに答えるのも大切な仕事だと思いますね。
●科学館クラブについて
今日もたくさんの子供たちが科学館クラブで活発に活動しているのをとても感心して見ていたのですが、このクラブについて詳しく教えていただけますか?。
1年を前期と後期に分けて、各10回のコースになっています。他の館ではこのように長期のものはあまり無いと思うのですが、ここでは開館以来こういう長期のコースをやっています。これはとても価値があることだと評価されていますね。
天文クラブの人数がちょっと少なかったみたいなんですけれど・・・。
だんだん天文に関する興味が薄れていっているみたいですね。なにか目に見える物が無いと面白くないとか、パソコンでゲームやらないと面白くないとか・・・。みんな望遠鏡みたいなアナログ的な機械にさわるのが面白くないのでしょうか。今の子供たちは嫌がるんですよね。スパナ持ってネジを締めるとか、そういうのが苦手な子供が多いみたいですね。
同じ道具を使うのでもラジオ作っている子供たちはとてもワイワイ楽しそうにやっていましたけれども。
物があるほうが楽しいのでしょうね。
科学教室に来ている子供に女の子が多いように思ったのですけれど・・・。
コースによってもちがうのですが、模型や電気関係は男の子が多くて、木工関係は女の子が多いですね。こういうことをやるチャンスが学校ではないですからね。
木工細工はすごいですよね。設備にせよ技術にせよ、すばらしいですよね!。
あれは家具職人が指導しているんです。旭川は「家具の町旭川」という伝統がありますから、技術面でも振興しているんですね。各企業などで定年を迎えた方が、ここに来て子供たちに指導しているんです。
科学館がやっているというところもユニークですよね?。
学校おなじことをやろうとしたら、設備の面はもちろんですが、これから完全土日週休になって、時間的にもできないですよね。それから、科学館では女性木工教室というのをやっているんですが、参加者に比較的高齢の方が多いのです。社会教育・生涯教育としては、市内の地区ごとにある公民館でも企画をしているのですが、設備などを考えると、やはり科学館レベルのものは企画できないのですね。でも、ほんとうは科学館には、今お子さんを持っているくらいの年齢の親御さんに来て欲しいんですけれどね。
子供たちの理科離れということも言われていますし、学校も土日週休になることになると、科学館の需要はさらに増えると思うんですよね。学校では実験なんかやっている時間は無いって言いますよね。
●公共施設としての科学館
なるほど。その意味でも、これからの科学館の役割は学校教育・社会教育の両面から重要になってくると言えそうですね。でも、これだけの施設を維持管理していくには、予算を取るのもけっこう大変なのではないですか?。
学校関係は絶対に必要なところなので、国からも予算が出ますけれども、科学館となると教育施設とはいっても、無ければないで良いというところでもあるので、学校などに比べるとなかなか回ってきにくいですね。でも、旭川の場合は小さいといっても36万の人口がありますから、比較的恵まれているとは思います。
こちらのように市が運営されているような場所の場合、役所と同じように人事異動による制約もあると思うのですが・・・。
普通の市役所の組織としては3年か5年くらいで異動になっていきますけれども、まぁ、私の場合は20年になるのですが、専門職としての特例なんでしょうね(笑)。このプラネタリウムのスタッフは常勤2人と嘱託1人の3人体制でやっているんですけれども、こちらは普通に異動になりますから。
異動になるたびに新しい職員の教育をしなければならないわけですよね?。
そうなんですよ。やっとうまくなってきたなぁと思う頃に異動になってしまう どこの館もこのことは問題になっていると思います。普通の解説ができるようまで1年くらいで、生でしゃべることができるようになるまで3年くらいはかかるでしょうかね。すると、年限が来てしまうんですよね。でも、経費的にはうちは生でやっているのでほとんど人件費だけですから、あまり大きな負担ではないですね。
●道内の他の天文施設とのつながりについて
北海道はプラネタリウムや天文台などの施設がたくさんありますよね?。
昭和38年に当時の北海道知事の意向のもとに、科学振興ということで主要都市にここのような科学館ができたんですね。全道で18館あります。人口密度が低いせいもあるんでしょうけれど、多いですよね。
なるほど。道内での各館の繋がりは強いのでしょうか?。
科学館は連絡協議会というものがあって、研修会などを毎年開いています。
科学館以外の施設ではどうでしょう?。
最近では、留萌の北の初山別(しょさんべつ)天文台や北見の南にある陸別の天文台のような施設もできましたね。初山別天文台ができるときは私も関わったんですが 8月になると初山別星まつりがあって私も手伝いに行くんです。「白線流し」のスタッフは実は私たちですなんて感じで(笑)。
どんどん新しい大きな天文台ができているようですが、施設の運営という意味においては、なかなか難しいものがあるような気がするのですが・・・。
最初の3年はだまってても予算がつきますけれど、問題はその後の数字だと思うんですよね。天文台だけでやっていくのはなかなか難しいんじゃないかと思いますね。科学館ならクラブ活動とかサイエンスショーとかいろいろな行事でお客さんを集めることができますけれど、星見せてるだけだったら延びないですよね。将来苦労するのではないかと思います。
●これからの科学館
これから先の科学館としての展望のようなものはありますか?。
基本的にはいままでやってきたことを発展させていくことですね。とりあえず、設備が古いですから、建物も中身も古くなって、だんだん魅力が薄れていると思います。プラネタリウムも大きくして、天文台も大きくして・・・。プラネタリウムは同心円を貫きたいですね。で、生解説で行きたいですね。星がきれいで安らがないとプラネタリウムじゃないんですよね。そして、時には天文台でほんとうの星を見ると。プラネタリウムはそれでひとつのエンタテイメントとしての文化ができ上がっていますから、科学館の中でのプラネタリウムの位置は、3割から4割くらいの意味があると思います。
長い計画では、先程も話したように社会教育の場としての役割も含めた複合施設として、新しい施設を作る計画はあります。ただ現在は財政がかなり厳しいですからね。当初予定していた時期よりもかなり後になるでしょうね。
科学館といえども幼稚園から大人まで、いろいろな年代の人々に楽しんでいただける施設にしたいですね。現在は青少年という名前がついていますが、それを外そうというところも増えてきていると思います。何度も足を運ぶことができること。押しつけがましく説明したり教えるのではなく、わからなければわからないで、また次のときに来て、わかるまで何度も来てもらえるような場所でありたいと思います。なんでもかんでもこちらから教えるというのはあまりよくないと思います。
学校という場所は、一年間に覚えるものが決められていますから、それでもしかたないとしても、科学館では自分達の興味で足を運んで行ってもらう、遊びに来てもらう場所でありたいと思いますね。
やっぱり科学館は楽しくないといけない。毎回来てもらう中で、1つでも何か新しいものを持って帰ってもらえればよいですね。
●石川さん個人のことで
石川さんが星に興味をもっときっかけのようなものをお話しいただけますか?。
はじめて興味を持ったのは、中学のころでしょうか。いまでもそうだと思うんですが(笑)、この頃はいろいろなものに興味を持ちますよね。いわゆる科学少年だったんですよ。ちょうど当時は池谷・関彗星が話題になっていた頃ですね。親に望遠鏡を買ってもらって、毎晩見ていましたね。
そのころの望遠鏡というと・・・。
カートンの6cmの屈折経緯台でしたね。今で考えると小さな望遠鏡ですが、その当時としてはそれでも十分高級だったんですけれどね。
一番最初に見た天体は?。
月でしょうね。天体は月にはじまり月に終わる。今でも月見てるとの楽しいですよね。
お仕事として天文を選んだのには何か理由があるのでしょうか?。
大学時代は東京の大学で物理に進んで、自分にとっては大人になっても続けられる科学が天文だったんでしょうね。子供から大人まで楽しめますからね。
今まででいちばん記憶に残っている天文現象といったらなんでしょうか?。
皆既日食ってまだ見に行ってないんですが、金環食は沖縄金環食に行きましたね。むちゃくちゃ雨が降ってて「こりゃだめかなぁ」と思っていたら、金環食の瞬間だけ晴れたんですよね。あれは感動的でしたね。それから、つい最近のことですが、百武彗星とヘールボップ彗星ははすごかったですね。あれは感動的でした。久しぶりに少年の血が騒ぎましたね。郊外に出て車を降りてはっと上を見上げてそのまましばらく見とれてしまう。双眼鏡で見ると尾がどこまでも続いている。中学生のときの感動がよみがえりましたね。
35年の中で天文から離れたことはありませんでしたか?。
私は大学時代に東京に行っていたのでそのときは星は見えませんでしたけど、ずっと天文雑誌は買っていましたね。天文からはずれることはなかったですね。
でも、真空管アンプのこととかとてもお詳しいようですが・・・?。
もともと音楽やオーディオとかビデオとか、メカが好きとか、いろいろ興味を持っているので、そういう興味がそのまま仕事になっているという感じですね。音楽については、最初はチャイコフスキーとかドヴォルジャークなどから始まって、ベートーベンとかモーツァルトに移って、最近はバロックとか中世とか・・・だんだん古い方にいってしまっています。他にも、モダンジャズを聞いたり、こういう音楽との接点も、仕事の上で絶対役に立ちますね。こういう科学館の仕事でも、お金かけないでやっていく上では、自分の趣味が役に立っていますよね。
今日はとても長い時間、いろいろとお話しくださいましてありがとうございました!。
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