玉川大学 学術研究所

教授 佐治晴夫

 それは、まるで大空の青いキャンバスの中で輝くひとつぶのダイヤモンドです。風の強い真昼には金色やパープルの炎がチロチロと、あるいはせわしく明滅しているように見える時もあります。その光景はあまりにも非日常的で非現実的、言葉による表現をはるかに超えた美しさで彩られていますから、その情景を目の当りにした人のすべてが、驚き、混乱し、言葉を失ってしまいます。

 これは晴れた日の昼間、望遠鏡のレンズ越しに”真昼の星”を初めて見た人々の様子を私の経験からお話ししてみたのですが、考えてみれば人々はどうして、こんなにも”真昼の星”を見て心を揺り動かされるのでしょうか。それはおそらく「昼間は太陽の光にはばまれて弱い星の光は打ち消されてしまって見えない」のだという常識にとらわれているからでしょう。
(右の写真は真冬の青空に輝く真夏の星)

 星の光が見えるということは、遠い過去のいずれかの日に、まぎれもなくその星を旅立った光の一粒それ自身が、広大無辺な宇宙空間を疲れることもなく何百年、何千年とただひたすら飛び続け、あなたの目にいま飛び込んだということの結果です。しかし、私たちの瞳の大きさは直径にして数ミリくらいの大きさしかありませんから星からの光のシャワーはとても弱く目は光を感じることが出来ません。ところが、望遠鏡はとても大きなレンズをもっていますから、星からやってくる弱い光をたくさん掬い取ることができて、それらを小さな瞳の窓のところに集めてくれます。いいかえれば、星の光を強めて私たちの目のところに連れてきてくれるので見えるというわけです。

 ところで、あなたは一枚の紙の中に雲や太陽を見ることができますか。紙の原料はパルプ、樹木です。樹木は水によって育ちますが、その水は雨がもたらし、雨を降らせるのは雲であり、その雲をつくるのは太陽です。

 そこで、一枚の紙の中に、太陽や雲の気配を感じ、雨や風の音を聴くなどというと、いかにも詩人の視点であるかのように思われるかもしれませんが、これは科学によってもたらされる事実であり、このことに気づくまなざしは科学のセンスでもあるのです。昼間でも星はあるのだけれども、とりあえず見えないのだということに気づくのも科学のセンスです。言葉を変えれば、私たちの五感の能力には物理的限界があるということの認識、さらに、すべての存在は目には見えないほかのものたちとのかかわりの中でできているということの認識、これは科学のセンスだということです。

 あたりまえのことですが、私たちは見えないものにささえられて生きています。ご飯を食べるとき、まず何を口にいれるかを決めるのはあなたです。そして咀嚼するのもあなたです。しかし、いったん喉をとおって胃の中にはいった食物を消化し、生きるためのエネルギーに変えるのはいったい誰でしょう。小さな切り傷をいつのまにか治してしまうのはどこの誰でしょう。

 人は実際に見えるもの、聞こえるものしか信じようとしません。しかし、人の五感が検知できる領域はとてもせまいのです。私たちは目でX線を直接見ることはできません。こうもりの歌声を耳でじかに聞くこともできません。あの美しい虹の赤い色の外側には目に見えない赤外線の領域があります。パープルに彩られた帯の内側には目に見えない紫外線の領域があります。赤外線はカメラの距離測定素子やあたたかいコタツに応用され、紫外線は殺菌効果があることや、日焼けの原因になるということで、目には見えないけれども、確かに存在する電磁波であることを私たちは科学によって知っています。科学は目に見えないものを見えるように、耳で聞こえない音を聞こえるようにしてくれるひとつの方法を提供するものです。

 宇宙の深遠なからくりは、私たちがふつう気づかない”すきま”から見え隠れしています。実は、宇宙の研究とは、宇宙のからくりを知ることによって自分の位置づけを知るための方法の一つです。宇宙のことをくわしく知らなくてもとりあえず生きていくことはできます。しかし、私たちにとって避けて通ることができない苦しみや悲しみに直面したとき、自らの人生の意味と真っ向から向き合うことになるでしょう。その時、宇宙の一部としての自分の存在理由が見えるか見えないかで、その人の人生は大きく変わるでしょう。星を見るという営みは、宇宙のひとかけらとして私たちが生きていることを実感させてくれる貴重な体験です。考えてみれば、私たちのからだのすべてを構成している元素たちは、すべて星が光り輝く過程で造られ、その星が寿命を全うして超新星爆発という形で宇宙空間にばらまかれた霧から生まれたのがあなたです。いいかえれば、星の終焉があなたの誕生をもたらしたということです。広大無辺、悠久の宇宙に比べれば無に等しいくらいささやかな人間ですが、私たちのたまゆらの生も、宇宙時間の一瞬をになっているわけで、それが物理的にはどんなに短い瞬間であっても、それがなければ宇宙は存在しえなかったということです。私たちの人生とは自分の誕生や死の瞬間を知りえないという意味では永遠であり、それは持続する宇宙生命の一つの側面だと言ってもいいでしょうね。

 20世紀が最後の時を足早に刻んでいる今日、星の光のシャワーの中で、そんなことに想いを馳せてみるのも、今を生きる元気の素になるのかもしれません。

佐治先生 略歴
佐治 晴夫(さじ はるお)
1935年東京生まれ。立教大学で基礎数学・理論物理学を学び、東京大学で物性基礎論を研究。宇宙の根源的性質である1/fゆらぎを”ゆらぎ扇風機”や”6時間録画VTRヘッド”など家電製品に初めて応用した実績で知られる一方、芸術と科学との学際的新分野「数理芸術学」の提唱者としても知られる。
現在は玉川大学、成城大学、横浜国大などで天文学や物理学の講義を担当。また講義の前にパイプオルガンを奏でたり、愛車ポルシェを駆って山に湧き水を汲みに行くなど多彩な分野に精通されたマルチ教授である。
理学博士。NASA客員研究員。
主著に
”宇宙の不思議−宇宙物理学からの発想−”、PHP文庫
”ゆらぎの不思議”、PHP文庫
”二十世紀の忘れもの”、雲母書房
など多数あり。



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