天文の初体験、とゆうより未体験なのだが、'99年8月11日に大西洋からインド洋にかけて見ることのできる皆既日食が、僕の日食初体験になると思う。断定できない理由は、数々の障害物がその前に横たわっているからで、そのハードルをクリアしなければ、初体験は来世紀までおあずけとなる。 |
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である。コロナを見る感動は、このハードルを乗り越えるからこそ得られるのではないか、とさえ思う。 |
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それでも見るだけならば、双眼鏡ひとつ持っていけばよいのだが、映像を残そうとすると、入念な準備と重たい機材、航空会社の重量制限、オンリーワンチャンスにかかるプレッシャー・・・。嗚呼!考えるだに恐ろしい。これで最後の瞬間に雲でも流れて来た日には、もう一生日食のニュースを聞くのもいやになるだろう。(日食毎回遠征症候群という不治の病に罹[かか]るのも恐ろしいが・・・。) |
今回の日食は、今世紀最後の日食といわれる。ところが100年どころの話ではなく、実はこの千年の最後を飾る日食であることに気がつく。天の岩戸の古事記、旧約聖書、アステカ文明の伝説。太古の昔より凶事の前兆、ときには天の啓示として歴史に綴られてきた日食。そのあまりにも非日常的で、太陽が消えるという非現実性。そして日食以外では決して目にすることのできないコロナ。これを生身の体験として受けることは、人間として何らかのこころの変革をもたらさずにはいられないのではないだろうか。日食はスペクタクルな天文イベントでありながら、極めて宗教的な体験となると自分は考えている。 |
太陽と月、そして地球の、言い換えれば自分の位置関係の、奇跡とも思えるバランスが生み出す日食。その原理がひろく理解されてからははじめての、大きな節目の日食となる。地球環境とか、人類の未来などと大上段に構えた議論にしたくはないが、この先千年の時をからだで感じた、個人的な体験となるよう、心からそう願っている。 |