星に関する初体験

             東京都品川区 吾妻秀一 25歳・システムエンジニア

星に興味を持ったきっかけと思い出
 初めて星に興味を持ったのはいつだっただろうか、確か小学校3年か4年の頃だったはず。 父親が買ってきてくれた5cmのアクロマート屈折経緯台、どのくらい嬉しかったのか今と なっては思い出せないけど、大はしゃぎだったに違いない。当時導入できた天体は月だけだった はずだけど幼心にある種の「人生観が変わる出来事」・・・いや、思い起こせば「人生を狂わせて しまった出来事」・・・ともかく、いい意味での大ショックだった。
 以来、星に関する図鑑や入門書を親にねだり、小学校高学年になると近所の図書館で片っ端から 専門書を借りては眺めていた。親戚からの誕生日プレゼントは「月刊天文ガイド」の年間購読、今 考えると環境には恵まれていたのかもしれない。
 5cm屈折は友達を誘って近所の公園に集まっての観望会やらなにやら出番が多く、ある日対物 レンズの隅に1cmほどのヒビを入れてしまった。そんなに見え味が落ちるわけではなかったが、 早くも次の望遠鏡が欲しくて欲しくて親にねだったのを覚えている。そしてハレー彗星の到来で 世間が賑わうようになる少し前、大事に貯めたお年玉と不足分を親に負担してもらってケンコー社の 10cm反射赤道儀を買うことになる。
 小学生には赤道儀の扱いを理解するには敷居が高く、結局モータードライブのクラッチは一度も 繋がれることはなくて経緯台扱いされていたのだけど、金星・火星・木星・土星、そしてM42や M45等は導入出来るようになっていった。また、月面は父親から譲ってもらった古い一眼レフで 撮影も何度かチャレンジしてみた。
 騒がれたハレー彗星は、伊豆七島の式根島まで南下して接近を臨んだものの、結局見れず終い。 中学入学と同時に星仲間とは別々になり、星からも遠のいていってしまった。

 ここまでが純粋な「星の世界への入り口」だったわけで、小学校の頃の3年間くらいの思い出。 中学・高校と武道に打ち込んだため望遠鏡を出して観望することも無くなり、高校卒業を前にして 親戚にあげてしまった。

再度、星の世界へ
 大学に入り、武道を離れて再び星の世界へもどったのは中学以来仲の良かった友人が天文同好会に 入会したのがきっかけだった。最初はそれほどのめりこむつもりじゃなかったが、夏の合宿で菅平を 訪れた時の一夜が星に対する考え方を一気に変えさせてしまった。
 それまで体験した事のない星の数に圧倒され、先輩が次々と導入する天体に一喜一憂した。そして 薄明まで先輩が撮り続けていた星野写真の始終を一緒になって手伝った(邪魔をした?)。
 確かこの時は流星群が特に活発な時期とはズレていたと思うが、マイナス10等級ほどの青白い 大火球を拝むことが出来たこともその後の天文趣味に拍車をかけていたに違いない。
 それから2年間ほどは殆ど誰も触らないタカハシ社μー180をほぼ独占して使用。やっとここで 赤道儀の使い方を覚えたわけだが、約10年間の疑問が解けた瞬間はとても幸せだったように思う。 写真もかつての記憶をたどりながら月面から再チャレンジ。全てが新鮮で楽しかったのを覚えている。

長時間露出と自前の望遠鏡
 月に何度か奥秩父まで観望会に出かけていたが、撮影と言っても固定撮影。ところが学園祭に集まった 同好会のOBの中に中学時代の部の先輩を発見、5年ぶりの再会、何かのきっかけに観望会に誘って来て頂いた。そこ で先輩から教わったのがガイド撮影だった。GOTOのポタ赤、マークXによるノータッチガイドだ が、露出時間5分そこそこの写真・・・横構図のオリオン座だったな・・・に見たこともない映像が 写り込んでいて凄く感動した。そこには肉眼では見ることの出来ないバーナードループがくっきりと 浮かび上がっていたのだった。
 この夜の観望会をきっかけに更に天文趣味の深い所へと加速してゆく事になる。翌春、1つ上の 先輩がタカハシ社のFC−76Eセットを購入したのをとても羨ましく思い、それまで定期的には やっていなかったバイトを開始。月に3〜4万程度ではあったが収入が見込めると判断するとローンを 組んで同社FS−78ESを購入。初めて自分の収入だけで購入した望遠鏡だ。
 購入と同時期、木星の撮影にチャレンジしていたちょうどまっただ中、シューメーカー・レビー第9 彗星が木星に突入した。
 NASAの範疇の出来事、どうせ個人レベルの機材では見れないと諦めかけていた所、学校の帰りに 立ち寄った望遠鏡ショップで5cm屈折でも見えるとの情報を得た。すぐさま学校へ戻り会員に連絡。 FS−78を組み上げ、導入するとくっきりと衝突痕が目に飛び込んできた。ひととおり集まった人が 見終ると撮影に移行。同時に組み上げたμー180のほうが光量的に有利と判断してこちらで撮影した が、外気順応が不十分だったのと、かなりの低空でシーイングの影響を受けて鮮明な像には写らなかった。
 翌晩から晴れてさえいれば望遠鏡を木星に向け、色々と機材を変えて撮影を試みた。この時FS−78 で撮ったワンカットがスカイウオッチャー誌の若葉賞で選外佳作とはいえ掲載され、屈折のシャープさ とフローライトの威力を認識することになる。

そして野辺山へ
 あれこれ撮影やら観望に打ち込む中、技術的に疑問点が増えてくる。高校時代から趣味でやっていた パソコン通信で行きつけの草の根ネット(会費無料のBBS)に星に関する発言場所を発見した。自分の 知識レベルをさらけ出して質問してみると丁寧に答えてくれる人が現れ、何度か会ううちに野辺山へ誘われ、 後輩を引き連れて初の野辺山へ。大学1年の頃に菅平で見た時と同じくらいの星の数に圧倒された。菅平の 一夜以来ここまで好条件に恵まれたことはなくとても感動したが、野辺山は何度行ってもコンスタントに 好条件の星空に逢わせてくれた。

 これらの出来事のひとつひとつが私にとっての重大な体験で、現在の天文趣味・撮影趣味が有るのはどれも 欠く事が出来ないだろう。後の百武彗星やヘール・ボップ彗星も巨大彗星の初体験となったが、やはり大学時代 の4年間の出来事と体験に勝るものはないと思う。
 星の世界は日々刻々と姿を変え、環境を変え、見る者にとっては毎夜が初めての場面という見方も出来ると 私は思う。同じ対象を見ても同じ場所に行っても毎回何かが違っていて新しい感動が体験出来る・・・だから ずっと飽きずに星を観ている、撮っているのだと。
 これからも新しい感動と体験を求めて野辺山へ足を運ぶだろう。


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